「読解力」という前に
コンピューターの世界はまさしく日進月歩である。私はコンピューターの自作が好きなのであるが、半年ほど自作から遠ざかるとコンピューター関連の本を読んでも何のことかさっぱりわからない用語だらけとなる。
こんなのを見ていると時の経つのも忘れるような時期もありました。
昔(今でもそうかもしれない)、メーカーのサポートにかかってくる電話で(この時点で意味のわからない人もいるでしょうが、これも説明していると私の言いたいことがぼやけてしまうので我慢してください。)「お客様のコンピューター環境を教えてください。」というオペレーターの質問に対して、「西向きの四畳半にあります。」…あのね。
また、これはちょっと有名な、よく聞く話。新聞でコンピューターウィルスが流行っているのを知ったT君のお母さん。これは一大事と、息子のT君に注意した。「Tちゃん、コンピューター触ったあとは、ちゃんと手を洗うのよ」
またこれも結構有名な話。息子が居間で「はじめてのC」という本(C言語の解説本です)を読んでいるのを見たS君のお父さん。これは一大事と本を取り上げた。「おまえにはまだ早い!!」中身をぱらぱらめくって自分の勘違いに気づきましたが、「おまえにはまだ難しすぎる」とか言って誤魔化したとか・・・→この話がわからない生徒の諸君、君は健全です。
「国語とどんな関係があるんじゃい。」と言われそうですが、国語の問題だって、書かれている言葉の意味がさっぱりわからないのでは問題を解く以前の問題でしょう。高校入試程度の問題ではハードルはかなり低いのですが、それでも最低限知っておかなければならない言葉というのはあります。
四字熟語、故事成語、ことわざ、副詞の呼応(文中である語を用いると、それに応じてあとのほうで決まった語や表現が必要になる場合があります。これを呼応といいます。たとえば「決して」とあれば、あとのほうで否定を表わす「ない」が来なければなりません。)などがわかっていないと解けない問題は思った以上にあります。
私が塾で国語の授業を本格的に始めるのは中3の夏休みからなのはこの辺りに理由があります。今書いた四字熟語、故事成語、ことわざ、副詞の呼応…、なども含め、要は語彙力の問題と言うことかな。これは一朝一夕につく力ではありません。
この力のない人には仕方がないので、読解に必要な「ことば」を毎回少しずつ覚えてもらうことにしています。(例…曖昧、あげく、いやおうなしに、意思、意志、確信、核心、暗示、依存、多様、妙味、一線を画する、念頭に置く、普遍、妥当、象徴、体系、潜在、扇動、漸進…。まだまだ他にもいっぱいありますね。)
次に読書が好きでありさえすれば読解力はつくかというとそれは違います。、「私、読書は好きです。」と言っても、自分が興味のあるものだけの、許容範囲の狭い読書ではこの力は充分身につきません。
「許容範囲の狭い読書って何だ」といいいますと、例えばケータイ小説などがそうなのですが、「文章が平易」であるということ。つまり「文章レベル」が低い。もう一度言い換えると、普段使っている言い回しに近いので理解が容易であると言うこと。
またこのような文章には日常生活を日本語で送れている人であれば理解できるような語彙しか使われておらず(言い過ぎかな?)語彙力はつきません。
ケータイはどうも苦手なのです。おじさんですね。
言葉足らずだったり論理が通らない展開の文章であっても、感情的に何となくわかる文。このような文はいくら読んでも読解力はつかないのです。
この場合の読解力というのは、書いてある文章から客観的に正しく読み取ることのできることを、正確に読み取ることができる力と言うことです。
長文になりそうです。この読解力についての詳しい話は次回にします。