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Why do we have to study ? No 3

カテゴリ : Why do we have to study ?
他の人のために…

 無人島に何か一つ持って行くとしたら何ですか、との問いに「携帯電話」と答える人を見て少し笑ってしまった。無人島ということは、社会から隔絶されるということを意味している。携帯電話はその社会とつながるということだ。北アルプスの稜線上の山小屋に行って「風呂はないのか。」と尋ねるようなものである。 (この例えは山好きでないと理解しにくいかな)

 何が言いたいのかというと、人間は社会的動物で他者と関わってしか生きていけないということだ。

 もしあなたが、死ぬまで十分裕福に暮らせるだけの金があったとする。あなたは最初は毎日遊んで暮らして楽しいだろう。でもこれが死ぬまで続くというのはどうだろう。何も人の役には立たない人生。人間はそれで満足するのだろうか。

 このことは、仕事が人間存在の根幹に関わるほど本質的なものだということを意味している、と言えないだろうか。


 やりたい仕事を考えるとき、「この学習」をしないとその仕事に就けないというのは、勉強する十分な理由になり得る。仕事をしないということは、何のために生きているのかわからない、となればもはや勉強するというのは呼吸をするのと同じぐらい当たり前なこととなる。この場合の勉強というのは英・数・国・理・社のような学習にはとどまらなくなるのは無論のことだが。

         キッザニア1
    キッザニア 1

    キッザニア2
    キッザニア 2

 
 やりたい仕事というのが、好きな勉強の延長線上にある場合は、人の役に立つ云々…は考えなくても良いかもしれない。自分のやりたいことが即、仕事につながるのだから。

             真珠の首飾りの女(フェルメール)
             真珠の首飾りの女(フェルメール) …画家はいいなと思っていました。
           

 義務教育の学習というのは、その内容の学習が国民としての「義務」と言う意味である。社会に出たとき、当然その程度のことは「知識」として必要だし、またその学習を通して得られる「思考力」がなければ社会貢献をするとき支障をきたすかもしれないということだ。

 ということは、生徒が学習するのは当たり前だということになるのだが、これに「この仕事に就きたい。自分のためだけではなく…。」ということで学習するのはすごいことだ。今まで言ってきた「知識の目」とか「自分で考える」とかはただただ個人的なことだったのだから。
2012-05-08 10:04:11

Why do we have to study ? No2

カテゴリ : Why do we have to study ?
自分で考える力

小学校の時、いわゆるガキ大将というのは力の強い者、運動神経のよい者ではなかっただろうか。喧嘩が強い子である。頭がよくても運動神経のない者は陰が薄かった気がする。

 これが中学校になると、ある程度勉強もできないとクラスの中心的な存在にはなれなくなる。言葉による喧嘩が強い者だ。喧嘩という言い方は少し違うのかもしれないが、説得力のある人と言えるのかもしれない。まだ運動ができるという要素も大きくて、走るのも速いが頭もいいとなると一目置かれる。

 この説得力とは何だろう。この能力は前回言った「知識の目」とは違う。自分で考える力や、論理的思考力に優れているということか。

 知識というのは結果の集積である。結果に対して何故この結果になったのか。本当にこの結果は正しいのかと考えられる人になってもらいたい。何も考えないようになってしまうと周りに流されてはしまわないだろうか。

 日本人にはややこの能力が欠けているのではないかと思うことが少なくない。昔、流行った「ノストラダムスの大予言」とか「血液型による性格分析」だとか、話題としては良いが本当に信じてしまってはダメでしょう。

           ノストラダムスの大予言

 この自分で考える力、論理的思考力をつけるには、やはり普段から勉強をしていないといけない。
 数学の知識なんか日常生活には関係ないという大人の人もいるが、知識ではなく、数学の学習を通じて得られる論理的思考力が大切なのではないだろうか。
2012-05-07 07:10:14

Why do we have to study ? No1

カテゴリ : Why do we have to study ?
知識の目
 生徒たちにはよく言うのですが、それほど準備して話しているわけでもないので少し考えて、書いてみようと思います。それは「なぜ勉強するのか」ということです。

 こんなことは正直に言えばいう必要もなく、義務教育を受けるぐらいの年齢の子たちは勉強するのは当たり前だということでやってもらわなければ困るのですが…。

 生まれたばかりの赤ちゃんに、例えば母親や父親の名前を言って「わかりましたか。」と言ってもわかるはずもなく覚えられるわけもありません。

 英単語を教えているとこれと同じ様なことがよくあります。例えばある日の2年の新出単語delicious おいしい、デリシャス / believe~を信じる、ビリーブ / trouble困ったこと、トラブル…など、もう日本語になっていますね。一度は聞いているはずです。でも生徒たちは「聞いたことはない。」と必ず言います。それは赤ちゃんと同じで、聞いていても聞こえてはいないのです。でもこの単語を習った日からは違います。事あるごとに「あっ!、聞いたことある。」「この言葉、知ってる。」となるはずです。

 言わば『知識の目』が開いたのでしょう。私たちにはものを普通に見る目と、知識の目と2つの目があるのです。生まれてきた以上、知識の目の視力もいい方がいいに決まってます。

 修学旅行で鎌倉に行ったとき、鎌倉の歴史の知識があるのとないのとでは印象が随分違うはずです。また塩素系の漂白剤と酵素系の漂白剤をなぜ混ぜてはいけないのかを知らなければ下手をすれば大変なことになります。

 知識は命を守るのです。大げさではなく、カンボジアでは毎年、字が読めないため、「地雷危険」の意味がわからず子供たちがたくさん亡くなっています。

         地雷
         地雷危険の看板
 
  豊かな人生を送るためにも「知識の目」を持ちましょう。一度しかない人生、たくさんの知識を持った方が楽しいでしょう。
2012-05-05 13:53:18

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