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白馬岳 2

カテゴリ : 登山

  さて2日目は、白馬岳頂上を越えて、三国境→小蓮華山→白馬大池→乗鞍岳→天狗原→栂池である。登りはほとんど無い。人生下り坂最高!(最近BSで火野正平さんがやってまっせ。「日本縦断こころ旅」)である。白馬山荘から頂上への時間15分を入れても、4時間15分ほどで行けるというのが雑誌等に書いてある所要時間だ。
          
         白馬岳~栂池 

 
 白馬岳は、南北に伸びる稜線の両側の傾斜が著しく異なる非対称山稜の山である。富山県側は非常になだらかであり、長野県側は急斜面となっている。何でもフォッサマグナに沿って白馬岳が位置するからだそうだ。フォッサマグナではそれより西側が東側に乗り上げており、白馬岳が東側に傾いて見えるのはこのためである。




   まあそう急ぐ事も無かろうという事で、頂上でゆっくりと風景を堪能し三国境(サンゴクザカイ)までくる。三国境は現在でも長野、富山、新潟の県境になっている。ここから雪倉岳、朝日岳方面へ行く道が分岐している。ここから見るこの方面の景色はすばらしい。なだらかな山稜と残雪のコントラストがこの世の極楽のようだ。天気も良い。




 程なく小蓮華山山頂である。写真のように頂上には鉄の剣が空に向かって立っている。しかし現在、頂上付近では崩落が進み、この鉄の剣も立ってはいないし、頂上にも立てないそうだ。ここから振り返る白馬岳は、信州側の荒々しい岩稜が迫力ある風景を見せている。

         小蓮華山山頂       
                       小蓮華山山頂 母上は元気である


 緩やかな稜線を下ること1時間あまりで白馬大池に着く。この稜線歩きはほんと最高である。左に雪倉岳や朝日岳それに残雪、右下にはこれから向かう栂池自然園、振り向けば白馬三山(白馬・杓子・鑓ガ岳)そして後立山連峰が一望の下である。       

            白馬大池1 
 雪倉・朝日岳方面を望む 27年前の小生です。  

 白馬大池には山荘もある。さすがに当時の私でも知っているチングルマの大群落や後に最も好きな高山植物となるハクサンコザクラやハクサンイチゲなど本当に花が多い。下手なグルメレポートみたいで恐縮ですが、うまい、いや違うきれい、最高、すんばらしい。

            御前たちばな
 ゴゼンタチバナ 葉っぱがサブトンのようでその上に座るように咲くからゴゼンタチバナだそうです。
      
            白馬のゴゼンタチバナ
  ご存じチングルマ

 ちょっと早いがここで昼ご飯となり、またまた大休止である。それにしても中々大きな池だ。サンショウウオも生息しているらしい。深い所は3~4メートルもある火口湖だそうだ。

           白馬大池2
           このときは極楽気分です。
          



          白馬大池3
          逆光で顔が見えなくて良いでしょう。

 さて食事も済み、乗鞍岳方面に歩き出したころ、とんでもないお兄さんに出会う。彼は栂池方面から荷物を運んでいるボッカさんみたいだったが、ものすごい速さで登ってくるのだ。まさしく風のように去っていった。そして何分もしないころ、今度は「お先に」と我々を抜いていく。もう下山か、と思ったら、それから暫くしてまた登ってくる彼に出会うのである。さらにさらにまた抜かれるのだ。人間とは思えない。凄い人もいるものだ。(その時は我々がゆっくりだという事にあまり気がついていない。馬鹿だねえ。)



 ところで少しいやな感じがしてくる。というのもこのあたり、岩がでかくて歩きにくい。岩の間を転がり落ちるように、降りていくのである。それもしつこい。乗鞍岳付近は岩だらけだ。足へのダメージが、ボディーブローのように効いてくる。

            白馬乗鞍
            これです。これ。この岩どうよ。 


 これまた後から悟ったことであるが、登山の上手下手は下りである。このときは膝にとにかく負担のかかるような歩き方をしていたと思う。ペースダウンも甚だしくなってくる。膝が痛い。



 ようやく天狗原に着くが、かなり疲労している。もう少しで栂池のはずなのだが、いやな木道や木で段を仕切ってある階段の道がとんでもなくしつこい。ここを曲がるともう栂池だ、と何度思ったことだろう。母も最初は大丈夫と言っていたのだが、そのうち大丈夫ではなくなってきた。



 雑誌のコース所要時間には気をつけましょう。白馬大池から1時間50分だと。…そんなもんで着くか。(初心者&高齢者)たいへんな道である。北アルプスの洗礼ってヤツですか。いやもう二人ともフラフラ、ヨレヨレ状態で、何とか栂池自然園到着。時間は午後5時近かったと思う。



 さてここからもう一つ、今となっては笑い話なのだが、疲れた体を鞭打つようなことが起こる。へとへとなのだからタクシーに乗っても良かったのだが、どういうつもりか節約しようとバスを待って、それに乗ったのである。



 しかし何と、降りるときに私は荷物を間違えた。何しろ疲れているせいか思考能力はない、ザックはよく似ている。降りてすぐ気がついたものの、バスは出ていく。おいらはフラフラ追っかける。ばあさん後から「オーイ、オーイ」と、追っかける。息子もばあさんもよれよれで倒れそう。バス→おいら→ばあさん、の順でバスはどんどん離れていく。


 
 あきらめてタクシーでバスを追っかけるという羽目になる。節約はどうなったの?倍以上値段がかかったじゃないの、という話である。

 


 何とか荷物も手元に戻り、旅館に転がり込んだものの、体が動かない。必死の思いで入った薬草風呂の気持ちの良かったこと、現在までの人生で一番だ。



 初めての北アルプス登山はこんな風に天国→地獄となってジ・エンドである。足の爪が2~3本死にました。



 さてこれに懲りず、私は毎年北アルプスに出かけるようになる。母を連れたり、妻と行ったり、友を誘ったりして。(母と行くのが一番多いと思う。親不孝を何とか挽回しようとしたのだ。何と親孝行な息子だ。)

2012-07-08 10:29:32

白馬岳

カテゴリ : 登山


 1985年8月12日、日航ジャンボ機が群馬県の御巣鷹山付近にその巨大な機影を隠したころ、私と母は、明日の白馬岳登山に備えて、白馬村のとあるホテルに泊まっていた。ちょうど明日の天気はどうかとロビーに降りたころで、館内は騒然としていた。


 翌早朝、タクシーで登山口である猿倉まで行ったのであるが、運転手に「坂本九ちゃんが乗っていたそうですよ。」と聞かされたのを覚えている。


 そんな訳で、初の北アルプスへの本格的な登山の日は、日付を絶対に忘れることのない日となった。

 

白馬岳は「北アルプスの女王」と呼ばれ、最も人気のある山の一つである。日本三大雪渓の一つがあり、高山植物の種類も多く、大きなお花畑もある。
それゆえ登山道は変化に富み、また何とか初心者でも登れる山である。

 

何度シミュレーションをしたことだろう。私だけならともかく、当時66か67歳になっていた母を連れての登山。コースタイムの倍かかったらどうしようとか心配はつきなかった。

          白馬岳登山ルート1

 何しろいきなり、2時間はかかるという大雪渓を登るのである。用意してあった4本爪のアイゼンを前の人のやり方を見よう見まねで登山靴に取り付け、基本通りに4本の爪を雪面に垂直に突き刺して歩くのだが、かなり緊張していたのを覚えている。

                 白馬大雪渓
白馬大雪渓(途中の岩が恐怖をそそります。)

                        
 それにしても凄い人だ。雪渓上では休憩はなるべくしない方がいいので、皆アリの行列のように一列になって登っている。


 盛夏とはいえ、雪渓を吹く風は冷たく爽快で、疲れは感じない。慣れてくると周りを見渡す余裕も生まれる。大雪渓の登山はとても快適。冷蔵庫の中を歩いているようなものだ。



 何とかコースタイム通りに葱平(ねぶかっぴら)という雪渓を上り詰めた場所に到着。さすがに少し疲れている。この妙な名前はネギボウズによく似たシロウマアサツキがこのあたりにたくさんあったために呼ばれるようになった名前だそうである。

        シロウマアサツキ   
        シロウマアサツキ(ネギボウズみたいでしょう。)

             
 その後、小雪渓を横切ると花の白馬岳のハイライトとも言うべきお花畑が始まる。私はその頃それほど高山植物に興味があった訳ではないのでよく覚えていないのだが母の話によると、種類も多く量も豊富で忘れられない、そうだ。母は花が異常に好きなのである。


 私は、高山植物にそれほど興味があった訳ではないというだけでなく、とにかく疲れた。花を見ている余裕なぞあるか、という感じである。


 途中、休憩中に画体の良い男の人と、スポーツをやってますよ、という感じのかわいく奇麗で強そうでもある女の人のカップルに「お元気ですね。(母にかけられた言葉である)」 と声をかけられる。当然このカップルが我々の先を行った訳だが、休憩が済み我々が歩き始めしばらくすると今度はそのカップルが休んでいるところを我々が「又会いましたね。お先に。」と抜いていく。


 もう一度、それを繰り返したのだが、よく見ると母の方が明らかに画体の良い男の人より元気なのだ。男の人ははっきり言ってバテバテである。


 何回か登山をしてわかったのだが、登山に強いか弱いかはある意味体重である。80kgの人は60kgの人より20kg分重い荷物を背負って歩くことになる訳だ。登山家で恰幅のいい人は見たことがない。


 その頃は今ほど中高年の人の登山者がいなかったのか、それとも母の個性なのか、母はよく声をかけられる。(母は伊勢で街を歩いていても南島町の知り合いの人が多い上に、なぜか見知らぬ人にもよく話しかけられ私は一緒に歩くのが面倒でたまらなかったものだ。)



 やった、小屋が見えた。と思ったらあれは今日泊まる白馬山荘ではなく、村営頂上宿舎という山小屋だそうだ。またこれが中々近づいてこない。逃げていってるんじゃないかと思うほどだ。


 何とか頂上宿舎に到達し、昼ご飯を食べ大休止。目の前に今日泊まる白馬山荘は見えているがどうせまた中々着かないのだろうと私は半ばやけ気味である。

          白馬山荘
          白馬山荘(巨大な山小屋です。)

 しかし何とほぼコースタイム+1時間ぐらいで白馬山荘に到着。登山口から7時間。私は確信した。「これはいける。この先はもう登りはない。もう大丈夫。あまり心配をしなくてもよいだろう。」後にこれは大きな間違いであることを痛切に思い知ることになる。



 頂上付近の展望は登りの苦しさを十分忘れさせてくれるものだった。私は例のカップルに、あれが槍ヶ岳でこちらは立山で…。と偉そうに言ったりしたのだが、後でよく考えてみると剣岳を槍ヶ岳と言っていたようだ。穴があったら入りたい。あー恥ずかしい。でも剣はすごく立派だった。

                                                                   白馬岳頂上の展望 
中央やや右の三角錐が剣岳 間違いない!

   
 白馬山荘は日本一大きな山小屋である。1500人ほど収容できる。特別個室を頼んであり、料金も普通の旅館並みだったことを覚えている。料理もフルコースで4組ほどの宿泊者だけの別室で夕食となった。


 その4組の中にまたもや例のカップルがいた。何でも北九州にある大学の講師夫婦だそうで、旦那さんは柔道の先生。母には脱帽していた。毎年夏休みは強行スケジュールで北アルプスを駆け抜けるそうである。昨日までは上高地→涸沢→奥穂高岳。明日は…。忘れてしまった。何しろ27年前のことだ。とにかく奥さんはかわいくて奇麗だったし強そうだった。


後半に続きます。        

2012-07-01 21:05:57

カテゴリ : 徒然シリーズ

求心力と遠心力

 今回は、少し気楽に思うところを書いてみたい。国語シリーズみたいなのは疲れる。楽しんで書こうと思っていたことが、苦痛になってしまったのではブログも続かない。



 さて毎日家にいて仕事をしていると煮詰まる。遭う人にはよく「自宅に島流しの刑にされているようだ。」と愚痴るのだがこうなると人間には遠心力が働くものらしくて、たまに休みができると 外に行きたくて仕方がない。
                  水谷塾
        現在の幽閉の地
                       
 外というのは、そこら辺に買い物に行くというレベルではない。例えば今の季節だと紫陽花や菖蒲が奇麗に咲いている所なんかが良い。西国三十三カ所詣りもあと四つというところで止まってしまっている。



 名古屋のボストン美術館で開かれている「日本美術の至宝(前期)」などという展覧会にも行きたい。そう言えば6月30日から東京でフェルメール展があるそうだ。9月に神戸に来るまで待つしかないのだが、是非行ってみたい。



 もし今の仕事が会社勤めのサラリーマンで、普段の日は電車で通勤なぞしていたら、休みの日は家でゆっくりしたくなるのだろう。この求心力と遠心力は、海で育つと山にあこがれを持ち、山で育つと海を見てみたくなるみたいなものだろうか。



 私が育ったのは今は南伊勢町という名になったが、「南島町」という名のはっきり言って僻地であった。山が海の間近まで迫り、海はリアス式海岸で波などほとんどなく、何メートルも行かないうちに人間が立てなくなるほど深くなっている。




 育った家の50メートルほど先は海であり、二階の窓からトビウオが飛ぶのが当たり前のように見えていた。祖父などは窓から鱸(すずき)がふらふらと海面付近を泳ぐのが見えたらしく、これを「鱸が目をすってきた。」などと言って船で釣ってきたらしい。(突いてきたのかもしれない。)

 

もちろん、すぐそばに山もあったのだが(従兄弟などは自然薯堀の名人であった)、やはり海のイメージが強い土地柄であった。


        南伊勢町
        南伊勢町

 小学6年の11月に伊勢に引っ越してきたのだが、私にとっての故郷はやはり「南島町」である。高校生ぐらいまでは海が断然山よりも好きであったのだが(比べることも考えたことはない)、何度か山に登っているうちに、山の魅力にとりつかれてしまった。


        南伊勢町2
        伊勢志摩の観光スポットの穴場です。


 今でも海は好きであるが、山は別格である。これも遠心力のなせるわざなのだろうか。都会の人が田舎に行きたがるのはひょっとしてこういうことなのか。とも思うが、田舎にいるとそのうち都会に帰りたくなるとするならば、ちょっと違う気がする。



 都会の人が田舎に来て「田舎はいいねえ。」と言うのを聞くと少しむかつく。何か上からの言い方のように感じるのだ。



 海は海での苦労があり、山は山での苦労があるのだろうが、現在の心境としては山で暮らしても何の問題もないという気持ちなのだが、そうなるとまた海が恋しくなるのだろうか。困ったものである。



 とにかく「島流しの刑」に処せられている身としては休みになるとウズウズするのである。

2012-06-26 11:14:41

国語 その5

カテゴリ : 国語

国語 その最後に
 前回のその4は具体例がなく、難しかったかもしれません。読解力というものを数学の問題でも解くように解明しようとしたのが原因です。難しく考えなくても「読解力」とはただ単に、書いてあることから言えること、を理解すればよいということです。前回に例を挙げてといいましたが、よろしければ下記の本をお読みください。国語の読解についてたいへん分かり易く書かれています。具体例も豊富です。

           



 今回、国語について改めて考えると、「国語の読解力はどうやってつけたらいいですか。」という質問は、たいへん答えにくい質問であることがよくわかりました。「読書をしましょう。」とか「新聞を読みましょう。」とかは、相手のことをよく考えていない答えだと思います。



 このあたりのことも上記の本で詳しく書かれています。参考にしてもらえればと思います。



 国語の読解はすべての教科に深く関わっています。例えば天体について興味を持って独学しようとすれば、本を読まなくてはなりません。歴史に興味があればやはり本を読むでしょう。そこに何が書かれているか正確に読み取ることができるだけで、先人の知識を自分のものにし、世界が広がるのです。



 また「声に出して読みたい日本語」や「理想の国語教科書」の著者である齋藤孝先生は、国語能力こそ、社会人にとって最も重要なスキルのひとつだとおっしゃっています。



 国語能力(現代国語の読解力)がある人は、現代の溢れる情報の中から、その情報の意味や要旨(内容の主要な点を一言で言い表したもの)が読み取れるということで、「情報処理能力」があり、ビジネスパートナーとしては最適なのだそうです。




 解りやすく言えば“理解力に優れた人”とでも言えるのでしょうか。国語能力の高い人には一言で理解できることも、国語能力の低い人には言外の意味が理解できなかったりして一から十まで説明しなくてはなりません。このあたりのことをいっているのだと思います。




 
 いろいろな科目の中でも国語を真っ先に取り上げて考えてみたのは、「社会に出て役立つ科目は?」といわれた場合、確実に役に立つ科目であると思ったからです。ただ基本的な語彙力さえあり、読解とはどんなものかがわかっていれば、正当な読み方というものはあります。接続語や指示語を確実に押さえる、キーワードを把握する、文末の表現などにも注意を払う、いいたいことは形を変えて繰り返されたりする、等々。




 中3の夏休みからは、私なりに経験を積んできた読解の仕方を伝授したいと思います。最後はコマーシャルになってしまいましたが、このようなプログで授業をする訳にもいかず、国語の重要性と読解とはどんなものか大体わかってもらえたらうれしい限りです。



 国語はこれで終わりですが、また違う科目についてもいろいろ考えてみたいと思います。

2012-06-23 22:03:10

国語 その4

カテゴリ : 国語

読解力…客観性と論理性

 中3になると社会は公民を学ぶことになっている。その公民で基本的人権について学習するのだが、基本的人権のベースとなるのは個人の尊重と法の下の平等だ。(平等権…憲法第13条、14条)このベースの上に自由権、社会権、参政権などがある。


  人類の歴史の中で、科学技術は信じられないぐらい発達したが、自由権や平等権が世に認められたのは18世紀、社会権に至っては20世紀になって初めて認められた権利だ。平等権や自由権はアメリカ独立戦争やフランス革命をはじめとする多くの人々の犠牲の上に勝ち取られた権利であり、社会権などは第一次世界大戦で200万人もの人々の命が失われた後に初めて認められたものである。
            
            基本的人権
            基本的人権の構造

 さてまた国語の読解とは関係のないような話から始まったようであるが、読解力が何であるかと考えたときに、この基本的人権の構造を考えるとわかりやすいと思ったからである。読解力のベースとなるのは「言葉の共通性」だ。


 
 例えば買い物に行って3000円の食料品を買ったとしよう。このとき3000円という金額が意味するものが売る方、買う方、双方にとって同じだからやりとりが成立する。つまりお互いが「円」をお金の単位として認識しているから買い物ができる。買い物が成立する=貨幣単位の共通認識がある、読解が成立する=双方(筆者と読者)に共通する言葉がある。ということだろう。『地雷危険』という看板があっても、地雷や危険という意味を共通認識していないと看板の意味はない。



 そのベースの上に客観性と論理性があるのが読解力だ。客観というのは主観の反対の意味だ。じゃあ主観って何だ、となると「主観」=「主」+「観」。「主」は主人公の主、自分の人生の主人公は「自分自身」、つまり「主」は自分自身の意味。また「観」は観察とか、観測の意味。つまり「みる」ということ。となると「主観」は自分から見たものの見方、感じ方ということになる。

 
すると「客観」=「客」+「観」。「客」は、お客さんということは「相手」、自分以外の相手、あるいは第三者。となると「客観」は自分以外の人のものの見方や感じ方。自分以外の人がどのように見るか、どう感じるかということになる。



 ある人に特定の考え方やその人自身だけに通用する、あるいは人それぞれで異なる感じ方や判断基準を「主観的」という。その逆で、誰から見ても同じ評価が下される、特定の人の感情に基づいていない様を「客観的」という。客観的な性質、客観的であることが「客観性」だ。



 文章というものは、自分の考えを相手に主張したり、伝えようとするときに書かれる。だから相手は筆者の主張すること、伝えたいことを、客観的に正確に読み取ることができなければならない。文を読んでどう感じるのかは自由であるが、それは「主観」であり、国語の問題にはならない。人がどう思ったかについて点数をつけることはできないでしょう。それに対して「この文章は、誰から見てもこう書いてある」ということについては正解と不正解は明確に出るはず。

 


 またこの「客観性」(誰から見てもこの文章にはこう書いてある。)を主張しようとするためには「論理性」が必要だ。つまり「論理的」であること。「論理的」というのは「筋道が通っている。」「矛盾したところがない。」「つじつまが合っている。」ということで、つまり誰が見ても納得がいく=客観性がある、ということになる。「客観」と「論理」は表裏一体で、論理的であれば客観性も持ち合わせていることになる。



 かなり難しい話となってきたが、『裁判』を考えてもらうとよく分かるのではないだろうか。ある容疑者を犯人と断定するとき、「おまえの顔、俺嫌いだ。だからおまえが犯人だ。」好き嫌いは主観であり、こんな事で犯人を決められたらたまらない。「動機がある」「証拠がある」「アリバイがない」と論理的に事を運んで客観的に犯人を特定するはず。

          裁判所
          裁判所
          
 「言葉の共通性」をベースとして「何が書いてあるか」を論理的にいうことにより、「客観性」を持った読み取りができるのです。「どう感じたか」で読解をしてしまうと収拾のつかないことになります。


 今回は文章に即して具体例を挙げながら説明できなかったのですが、次回頑張って例を挙げてやってみようかなと思っています。またどうすれば、この「読解力」が身に付くのか、その訓練については、いろいろな方法があるようです。次回にいくつか紹介します。

2012-06-20 18:41:49

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