つれづれなるままに 序段
つれづれなるまゝに、日くらし、硯(スズリ)にむかひて、心に移りゆくよしなし事(ゴト)を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
現代語訳
ひとりで手持ちぶさたなのに任せて、一日中、硯を前にして、心に映っては消え、映っては消えるつまらないことを、とりとめもなく書きつけると、妙に気ちがいじみた心地がする。
いきなり徒然草ですが、この前の求心力と遠心力みたいに、とにかく日頃時々考えることをそれこそとりとめもなく書きつけようと思います。
高校生のころ、初めて徒然草に接したときは、「なんておじさんくさい文だ。」と思い、枕草子は「偉そうな女だな。」と感じ、源氏物語は「こんな難しいものを何で読まなければならないんだ。」とプチ切れした覚えがあります。
時を経て、徒然草などには共感できる部分があるように思えて、これはある程度の年齢にならないと解らないということを実感しています。
ウサギとカメとプラスアルファ。
生徒の中には理解力は良くないのだが、真面目な生徒がいる。このような人は自分は理解力が不足している、ということを自覚しているので、家でよく復習してくる。これが段々積み重なって半年、一年も経つと徐々に実力をつけてくる。
また非常に理解力があり、仕事も速いが学習はいい加減である生徒もいる。宿題はしてくるが、それほど時間はかけてはいない。でもテストはよくできる。定期テストの点数も良い。当然先ほど例に挙げた子よりも、実力はある。
さてこの文脈では、前者がカメで、後者はウサギで、ウサギは昼寝をしてカメより遅れてしまう。つまり、成績も抜かれてしまう、と言いたいのだろう。となりそうだが、事はそれほど単純ではない。
例に挙げたウサギは、定期テストの時などは頑張るのだ。実力ではカメが勝てることは難しい。ただし、入試においては、ウサギは実力が発揮できないことがよくある。
それほど根拠がある訳でもなく、経験での物言いしかできないのだが、カメタイプの子は塾に来ても、靴をきちんとそろえて脱ぐし、スリッパも元の状態に戻しておく。自転車もきちんと止める。つまり、他の人のことを自然と考えて行動できる事が多い。ウサギタイプの子でこれができる人はまずいない。
テレビの高校生レストランで有名になった相可高校の食物調理科を見学させてもらったことがあるのだが、生徒の動きに鳥肌が立つぐらい感動したことがある。整然と無駄なく動いているのだが、動きに他の人のことまで配慮したものがあり、見ていて暖かいものを感じたのだ。
カメタイプの人も同じだ。例によってみんながみんなという訳ではない。むしろカメタイプの人でもこんな人は少ない方だが、カメタイプの人だけがこのような行動ができる。
入試というのは、生徒が考えているより厳しいものだ。
カメタイプの人は自分の解ける問題は着実に解けるのではないだろうか。わからない問題があっても焦らない。自分をよくわきまえていて、普段と変わらない力が出る。
ウサギタイプの人は自信を持って臨んだのに、わからない問題がたくさんあるとパニックに陥りやすく、実力を発揮できないのではないか。言い方はきついが普段から傲慢な勉強をしているからなのではないだろうか。
みんながカメタイプになれ!と言いたいのではない。塾にはウサギタイプの人が必要である。みんなを引っ張っていけるのは、ウサギタイプで、かつ、やるときはやるという人なのだ。競争心を露骨に表し、生徒たちに波紋をもたらす。これが刺激となり、塾内が活性化することが多い。
自分の性格をよく見極めて、カメタイプは少しだけウサギの積極さを見習い、ウサギタイプはカメタイプの謙虚さをちょっとだけ身につけてほしい。このプラスアルファが大事である。(特にウサギタイプには。)