仏様の指
仏様の指とは
・これは中学で国語を教えておられた先生が書いた「教えるということ」の中の一節です。
少し長くなりますが、私が教えるということはどういう事が、心底から考えさせられたものであり引用させていただきます。
「仏様がある時、道ばたに立っていらっしゃると、一人の男が荷物をいっぱいに積んだ車を引いて通りかかった。そこはたいへんなぬかるみであった。車は、そのぬかるみにはまってしまって、男は懸命に引くけれども、動こうともしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても、どうしても車は抜けない。その時、仏様はしばらく男の様子をみていらっしゃいましたが、ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いていってしまった。」…中略…もしその仏様のお力によってその車が引き抜けたことを男が知ったら、男は仏様にひざまずいて、感謝したでしょう、けれどもそれでは、男の一人で生きてゆく力、生き抜く力は、何分の一かに減っただろうと思いました。
大村はま 「教えるということ」より
・私は今まで、生徒たちに自立して勉強できるようにならなければいけない。と言いながら、ぬかるみにはまった車の先頭に立ち、生徒と一緒に、生徒よりもはるかに大きな声を出し、車を引っ張り上げてきたような気がします。生徒が生徒自身の努力で、できるようになったと思えるような教え方をしようとしてきたのだろうか。と深く考えてしまいました。
・生徒たちが私の生徒である時間はその生徒の人生のほんの一時です。卒業していく子どもたちは過去を振り返ってなどいられません。私のことなど思い出す必要もないのです。ただ、私が関わった時間に、豊かな力を、私が指をふれたことも気づかずに、つけてもらいたいと思います。